心柱を持つ構造になったのは、いつなのでしょう?
大陸から伝わったさいは一層ごとに積層させる積み重ね構造だったと思われますが、日本の五重塔には心柱が、それも大黒柱とは違って構造を支えていない心柱はいつ出来上がったのでしょう?

おそらく最初は、大陸からの設計そのもので建てられれ地震や台風で倒壊し、大黒柱の無い構造に疑問を感じて心柱を入れる設計に変化して、心柱と積み重ね構造との振幅の違いから何度か倒壊を繰り返すうちに、心柱と周りの構造を切り離して行ったのだと思いますが、法隆寺の五重塔再建が680年頃なのでずいぶん早いサイクルで改良を重ねたのだと思います。

細長い姿と塔の上にある伸びやかな相輪と木の歪みを考慮して組み柱にする構造まで完成させ、1340年のあいだで170回以上のマグネチュード7以上の地震に耐え、度重なる台風に耐えて来ました。

木造の建物で、途中経過の構造体が残っていないので経緯は分かりませんが、よく短期間に日本の風土に完全に対応させたと思います。1340年後まで予想して設計した訳では無いと思いますが試行錯誤から短期間で改良をしたと考えられ、技術的な事だけではなく誰かの強い思いが感じられます。優雅な相輪を含めて心柱をしならせるイメージをされた方はとてもセンスの良い方だと思います。

木造の構造体が日本の風土で1340年も耐えられるなんて、100年住宅どころでは無いですね。

五重塔が気になったので「五重塔のはなし」編集委員会 編著 「五重塔のはなし」をさっと流し読んでみましたが、心柱の歴史的な経緯までは書かれていませんでした。構造説明や現工法での建築の仕方塔が簡単に記載されているので、時間が有る時にじっくり読んでみようかと思います。

ボルトではナットからのはみ出し長さ(余長)を3山以上としていますが、五重塔の原理を考えると片側を固定するボルト全長が長いアンカー等の場合は、相輪に相当する部位になり得るのでもっと長い余長が必要なのかも知れません。いずれにせよ余長は正確に揃えた方が良いと思います。